リー・クアンユーのヒストリーvol.1「都市国家への挑戦」

31年かけ築いた繁栄 固い信念持ち目標達成

1959年6月5日、私は英連州の自治州(国)だったシンガポールの首相に就任した。血気盛んな35歳だった。選挙後の記者会見を昨日のことのように覚えている。シンガポールを独立した国家に建設しようという私の訴えは国民からの明確で断固とした支持を得たのだ。

この40年間で1人当たりの国民総生産(GNP・1997年)は36,422ドル(約297万円)に達した。国は清潔で犯罪率は世界で最も低い中に入る。与党の人民行動党(PAP)政権の下で国民が懸命に働き、シンガポールの港は世界最大の港の一つとなった。シンガポール航空は世界最高クラスのサービスと専門誌が伝えている。

思い起こせば本当にいろいろなことが起きた。共産勢力との政治主導権争い、英国からの独立やマレーシアとの合併、華人、マレー人の人種抗争、東西冷戦、そして経済開発。その一つ一つが何の資源もない島国、都市国家シンガポールの生存をかけた挑戦だった。

私は同僚たちと固い信念を持って直面する課題に挑戦し、掲げた目標を達成してきた。私は、シンガポールが西欧メディアから専制国家と批判されていることは承知している。だが、国民の信を得た政府として、私は繁栄、政治の安定、治安の維持などを実現し、国民への責任を果たすことにより意を用いてきた。西諸国の価値基準には「否」とは言わざるを得ない。

私は8年あまり前に首相の座をゴー・チョクトン氏に譲った。以来、政治の第一線からは退き上級相として必要があればアドバイスしている。外国には毎年出かけている。世界の旧知の友人たちと意見を交換するのは刺激的で楽しみである。
実は私は自叙伝を書くつもりはなかったし、日記をつけたこともない。私の本来の仕事の妨げになるからだが、五年前に友人から自叙伝の執筆を勧められた。若い人たちが最近、中国語で出版された私の昔の演説集に関心を深めており、自叙伝もきっと読まれると言う。

私自身も彼らに、まじめで効率的な政府、公共秩序や人々の安全、社会的、経済的な進歩などが当たり前のようにもたらされたものでないことを知って欲しいと思っていた。そこで私は自叙伝を書くことに、昨年9月、1965年のシンガポール独立までを記した自叙伝「シンガポール物語、リー・クアンユー回顧録」第一巻を出版した。独立後の第2巻は年内に出版する準備を進めている。

そんな折、日本経済新聞社から「私の履歴書」に登場するよう要請を受けた。思えば、私が政治家を志したのは第2次世界大戦中の日本軍のシンガポール侵略と占領がきっかけだ。3年半の日本軍の占領中に私は権力とは何か、国が自分の運命を自分で決めることがいかに大切かを思い知った。

一方で31年間、都市国家の首相を務めた私には、日本と日本人の勤勉な姿勢はいつも印象的だった。私はよく働き、規律と団結力のある日本人に敬服している。日本の若い世代にシンガポールがどんな国かを知ってもらいたいと思う

私は率直に日本を批判する。とりわけ戦争中の行為への謝罪に明らかに消極的な姿勢を問題にする。ドイツのようにきっぱりと過去を清算し、将来への新たな一歩を踏み出すべきだろう。東アジアは予想だにしなかった混乱期にあるが、いずれ立ち直り日本との関係も強まろう。過去の事実をお互いに知り合うことは将来の協力の確かな基礎となる。その気持ちから日本経済新聞社の協力を得て、自叙伝と私の話などをもとにした「私の履歴書」掲載の申し出をお受けした。(シンガポール上級相)

リークアンユー

この記事を書いた人

SingaLife編集部

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