リー・クアンユーのヒストリーvol.13首相就任、選挙勝ち政権手中に 給料削減で節約精神示す

55年4月の選挙で当選した私は政治家としての足場を得た。次は、人民行動党(PAP)の勢力拡大だ。第四党から次の総選挙で躍進し、政権を獲得することが皆の目標となった。

このころ、英国とシンガポールの自治拡大を念頭に憲法改正の協議が始まった。私はPAPの代表の一人としてマーシャル政権の交渉団体に加わり、英国との交渉に当たった。最終的にはマラヤ連邦が57年に独立、シンガポールは59年に総選挙を実施し、自治政府を認めることになったのである。

PAP内部では、私たち英国留学組と共産党勢力が党運営の主導権をめぐって陰に陽に闘いを続けていた。そんな折、マーシャル政権が、共産勢力封じ込めのため大量逮捕した活動家の中に、PAPの共産系活動家も含まれていた。私は総選挙で党全体の勝利を最優先すべきだと判断し、チャンギ刑務所に拘置された彼らにもチキンカレーや焼き立てのパンを持って激励に出かけた。

総選挙は5月30日に実施された。私は前回と同じタンジュン・パガー選挙区から立候補し、72%の得票率で当選した。PAPは53,4%の得票率で51議席中43議席を獲得した。前回首位の労働戦線は、20,4%で四議席に終わった。わがPAPは圧勝したのである

私の首相就任が決まると、家族は喜んだものの、不安そうな表情もしていた。妻は我々と共産勢力との対立が次第に深まってきたことを知っていたからである。

6月3日、シティーホールの前で開かれた新内閣発足記念集会で当選した議員たちとともに、白の開襟シャツとズボンで並んだ。新政権は過去のシンガポールではなはだしく、また他国で見られるような汚職を決してしないとの決意を国民に示したつもりだ。会場には5万人の市民が詰めかけていた。

私は演説で聴衆に対し、「われわれはいま新しい章に入った。しかし、人々に選ばれた政府ができることは限られている。良いことは空から降ってこない。勤勉に働くことで、いつしか得られるものである」と自治国の建設に向ける理解と協力を呼びかけた。

我々は6月5日金曜日の午後に就任した。マウントバッテン卿が日本の司令官と降伏式を行った場所だった。新政府の質素な政治姿勢を見せるため、夫人たちの出席を見合わせた。

私は共産主義者たちに警戒を怠らなかった。きっと企業や会社でわざと不安を引き起こし、国民の政府への支持の取り崩しにかかるだろう。私は過去の経験から、政治家として将来に向けてのやる気や熱意を持っているだけでは、共産主義者の政治攻勢に対抗するのには十分ではないと強く感じていたのである。

私は全閣僚に執務室に冷房設備を設置するように指示した。当時はぜいたく品だった。我が家で妻が54年に寝室に大型冷房設備を取り付けて以来、快適な部屋では安眠できて仕事の能率が上がることを知っていたからである。

一方で、私は閣僚の給料を月間2600シンガポール㌦から2000シンガポール㌦にし、また高級官僚についても給料の削減に踏み切ったのである。下級職員の賃金には手をつけなかった。政府の節約精神を、立ち上がりから具体的に敏速に国民に示す必要があると思ったのだ。

高級官僚からは、処置に不満の声が上がり、公務員組合からも反発が出た。しかし、大多数の国民は我々の決定を強く支持してくれたのである。
私は迷うことなく、国民が納得する合理的な政策を矢継ぎ早に実施し始めた。

(シンガポール上級相)

私の履歴書_13

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