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リー・クアンユーのヒストリーvol.19 マイファミリー子供には普通の環境妻と弟と法律事務所営む

65年にシンガポールが独立してから首相の私は一段と忙しくなった。この間、子供たちは知らず知らずのうちに大きくなっていた。52年に長男のシェンロンが誕生した後、長女ウェイリン、二男シェンヤンが生まれ、五人家族となった

55年には、私と妻と弟との三人で法律事務所「リー・アンド・リー」を開設した。妻は子供たちの面倒を見ながら事務所の仕事にも携わっていた。家庭では一般の中国人社会の通例のように、私は厳格な父として振る舞った。しかし、私自身は子供たちをムチで打ったり、体罰を加えたりしたことはない
怒って「だめだ」と言えば子供たちは従った。まれにいたずらが過ぎたりして、厳しくしかる必要があるときは妻がムチ打った。

そんな我が家に大きな変化が起きたのは私が59年に首相になってからである。長男が7歳、長女が5歳、二男が2歳の時だった。それまで私だけにレンズを向けていた報道カメラマンが家族の写真も撮ろうと狙い始めたのだ。妻は子供たちの写真が新聞に載らないように苦労していた。子供たちは普通に学校に通えるようにするためだ。子供たちが普通の生活を送れるようにするのも苦労した

私は妻と相談し、首相公邸には引っ越さないことにした。周囲から隔絶した環境では子供たちに良い影響を与えないし、使用人や庭師などが周りにいると思い上がったりしかねない。首相になる前の私のように、子供には普通の環境を与えることが大切だと考えた

教育は妻に任せた。前に述べたが、学校教育は中国語が分からなかった私自身の経験から、3人とも幼稚園から高校まで中国語で授業をする学校に通わせた。3人とも自宅では英語を使っていて、二か国を同じようにマスターさせた。第三言語として、マレー語も6歳の時から勉強させた。

私自身は通常8時から仕事を始め、5時か6時に終わるが、会合や会食などで週2、3日は帰宅が午後11時になる。他の日は直接自宅に戻り、もっぱら読書や自分の用事に使う。健康管理のために仕事を終えたあと、首相官邸の庭で運動するのを日課にしていた。

休暇もしっかりとるよう心がけていた。初選挙があった55年にさえ、私は妻と3歳のシェロンを連れてマレー半島の保養地カメロン・ハイランドにドライブし、6月1日から3週間ほど過ごした。毎日、朝と午後、標高1500メートルにある9ホールのゴルフ場でゴルフを楽しんだ。この休暇をきちんと取る習慣は崩していない

ゴルフはきちんと習い、20年前にはハンディ9までになったが、2年間ほど後、に後退した。最近は左の肩を痛めてプレーができないのが残念である。幸い子供たちは私の公的生活にも関わらず良い成績を収め、立派に成長してくれた。

3人ともケンブリッジなど一流大学を最優等の成績で卒業し、副首相やシンガポールテレコム社長などの要職に今は就いている。結婚し、それぞれ家庭を築いており、娘はシンガポール大学医学部を卒業し、神経医になっている。私にとってもうひとつ幸運だったのは妻の収入が大きかったことだろう。政府は70年に閣僚の給料を月額2500から4500シンガポールドルに上げたが、私だけは3500シンガポールドルに据え置いた。妻の収入が十分にあるためで、その時、後継者に同じことを望むのはできないと思った。

(シンガポール上級相)

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