リー・クアンユーのヒストリーvol.22 マスコミ政策 無責任な報道は規制 途上国の事情 考慮すべき

1971年6月9日、私はフィンランドのヘルシンキにいた。現地で開かれた国際新聞協会第20回総会に出席、発展途上国のマスコミ報道のあり方について演説するためだ。

この年、シンガポール政府は外国の影響を受けた新聞と、外国の支援を受け政府の努力に妨害を企てた新聞それぞれの発行許可を取り消した。それで西欧マスコミから批判を受けていた折である。しかし、私は演説で「政府は報道の意図を阻止する責任がある。報道や出版の自由より、シンガポールを守り、国民が選んだ政府の第一義的な目的を優先させるべきだ」と批判を跳ね返した。そして報道機関は国民が先進国の知識、技術、規律などを身につけたくなる雰囲気を作ることができる、との考えを示したのである。

実は、68年に私が米国に滞在中、こんなことがあった。リチャード・ニクソン氏が新大統領に選ばれ、新閣僚の顔触れを発表した直後のことである。民間のCBSが直ちに放映した討論番組で、出席者たちは政策もまだ分からないのに、用意したシナリオに沿い、新政権を面白・おかしくけなしたのである。

ジャーナリストや評論家たちは国民には選ばれていない。選挙で選ばれた国民の指導者をあざけるのは一体、だれなのか。どんな権限に基づいているのか、また、そんなことを委任したのはだれなのか。

常々、国家指導者として国内外のマスコミ報道の性格を注視してきた私はこの番組を見て考え込んだ。私は発展途上にあるシンガポールのことを考えねばならない。我が国は交通、通信の国際的交差点で、西欧の新聞、雑誌、テレビ、映画などが入ってくる。外国ビジネスマンや家族が住むと、国民は彼らとの交流で西欧メディアの影響を受ける。科学や技術を導入すると、現代西欧の好ましくない風潮を完全に防ぐことはできないのだ

シンガポールは政治的に微妙な問題を抱える多人種国家でもある。私たちの過去の経験では、報道が自由だと報道機関が外国勢力に操られたり、人種対立があおられて衝突を招いたりすることが明らかだ

87年初頭、政府は米国のエイジャン・ウォールストリート・ジャーナル紙のシンガポールでの販売部数を大幅に削減する措置を取った。同紙の報道に間違いがあると指摘、反論の掲載を求めたのに拒否されたからである。米国務省はシンガポール政府の処置に遺憾の意を表明した。何を報道するかはマスコミの自由だというのである。報道が自由でも、国民は無責任な報道を見分け、いずれは責任ある報道を次第に評価するという考えに基づいているのだろう。

だが、我々は先に述べた理由でとてもこの考えを受け入れられない。マスコミを独立した第四の力とする西欧諸国の概念を信じる考えは全くない。もちろん、我々はこうしたマスコミ政策の問題点も念頭に置いている。情報の自由な流れがなくては経済は発展しない。外国報道機関は我々のことを自国に伝えるのが仕事だろう。彼らが自国で果たしている役割をそのままシンガポールで果たすことは認められない。もし彼らが誤報すれば我々は訂正を求める。彼らが拒否するなら我々は販売部数を制限する。売り上げに響くだろう。だが、国民が情報から取り残されないよう、その新聞は図書館に行けば読めるようにしている。

一方で私は、根拠がなかったり、誤った報道をされた場合は、法的な手続きを取っている。政府批判の言い分を聞いて「どうしてあなたが正しく、私は間違っていることを証明できるのか」と説明を求める。黙っていては我々を選んでくれた国民に申し訳が立たないからだ。

(シンガポール上級相)

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SingaLife編集部

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