【大人の社会科見学】
シンガポールで楽しむイベントその318
-「建国の父」リー・クアンユーが築いたシンガポール-

シンガポールの建国の父と称されるリー・クアンユーは、現在のシンガポールの礎を築いた国民的英雄です。1923年に英国の植民地であったシンガポールで生まれ、91年の生涯を通じて、この小さな島国を世界有数の経済大国へと変貌させたのです。
リー・クアンユーの政治人生は、第二次世界大戦中の日本軍占領時代に端を発しています。戦争期の過酷な経験が彼のナショナリズム意識を高め、自ら統治し、自尊心ある国民として誇りを持てる国家を作る決意へと彼を導いたのでした。

1954年にリーは人民行動党(PAP)を結成し、自治権を得た1959年にシンガポールの初代自治州首相に就任しました。その後、1963年にはマレーシア連邦に参加しましたが、政治的、民族的な問題から1965年に分離独立することになり、リーは独立後のシンガポールの初代首相として国家の指揮を執ることとなったのです。
独立直後のシンガポールは天然資源も乏しく、経済基盤も非常に脆弱でした。そのような状況下でリーは、大胆な経済政策を推進していきました。まず、積極的に外国企業の誘致を図り、安定した投資環境を整備したのです。税制の優遇措置や規制緩和などを通じて、世界中の多国籍企業が拠点を構える金融およびビジネスのハブへと成長させていったのでした。
また、中継貿易主体だった産業構造を製造業、さらに金融やサービス業へと大胆に転換させ、世界経済との連携を強化していきました。その結果、シンガポールは短期間で驚異的な経済成長を遂げることができたのです。
さらにリーは人材育成にも力を入れました。教育制度を整備し、特にエリート教育を重視して国家や企業の中枢に優秀な人材を配置していったのです。また、労働者と企業が共同で積み立てる「中央積立基金」を導入し、住宅購入、医療費、退職後の生活保障などを充実させ、社会福祉の安定も図っていったのでした。

リーの統治の特徴として、政府の透明性と汚職撲滅も重要でした。厳しい法律と監視体制を敷き、清潔で効率的な行政を実現していったのです。また多民族国家という背景から、英語を公用語に定め、民族間の調和と一体感の醸成にも力を注いだのでした。
しかし、リー・クアンユーの統治スタイルは権威主義的との批判も絶えませんでした。政治的な反対意見や報道の自由に対する制限などは、国際社会からしばしば問題視されてきたのです。これらはシンガポールの民主主義の成熟度という観点で議論されることも少なくありません。
それでも、リーの指導のもとでシンガポールが実現した経済発展と社会の安定は疑いようがなく、東南アジアにおいて一人当たりのGDPがトップになったのは紛れもない事実なのです。その発展の恩恵は、シンガポールに住む日本人にとっても日々実感できるものとなっているのではないでしょうか。高度に発達したインフラや清潔な都市環境、効率的な行政サービス、多言語環境、法令遵守の徹底、そしてアジアと西洋が融合したユニークな社会文化など、日常生活の随所で彼の遺産を感じ取ることができるのです。
リー・クアンユーが築いた実用主義的な政策と思想を理解することは、シンガポールでの生活やビジネスを円滑に進める上でも欠かせないものとなっています。彼の遺したレガシーを知ることは、この国の繁栄を支える仕組みや文化をより深く理解し、豊かなシンガポールライフを送る上で大きな力となることは間違いないでしょう。寄与するでしょう。経済発展の歴史を通じて、東南アジアにおける重要な役割を果たしています。
(2回目に続く)
◆大人の社会科見学 筆者
森山 正明 大人の社会科見学シンガポール版は、シンガポールで生活している方々へ、シンガポールの奥深さを知ってもらいたい思いで活動を始めました。「3か月も住んでいればシンガポールは飽きてしまう」と巷では言われますが、なかなかどうして、この地ならではの楽しみは、尽きることはありません。 2013年11月からこのサークル活動を始めて約11年。行ったイベントは、200回を超え、その中から読者の方にもシンガポールの文化や習俗について年中行事を軸に紹介をして参ります。 ●大人の社会科見学の電子書籍版完成! 詳細はこちらから |
●記事内容は執筆時点の情報に基づきます。
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この記事を書いた人
SingaLife編集部
シンガポール在住の日本人をはじめ、シンガポールに興味がある日本在住の方々に向けて、シンガポールのニュースやビジネス情報をはじめとする現地の最新情報をお届けします!