リー・クアンユーのヒストリーvol.23 言語問題 英語・民族の言葉併用 国際性・固有の文化 大事に

日本の方々にとって日本語は唯一の国語である。同じ国民なら同じ言葉を話すのは当たり前のことと思われていると聞く。だが、そういう国は世界でも少数派である。むしろ多くの国では複数の国語や言語があって、政治や社会に複雑な影響を及ぼし、民族対立のタネになっているのが現実だと思う。

移民の国シンガポールが独立した時、英語、中国語、マレー語、タミル語(インド南部の主要言語)が混在していた。私自身も英語、中国語、マレー語を話すことは前にお話しした。国を発展させるにあたり、この国語問題の扱いが極めて重要な問題で、1959年に英国の自治国の首相に就任した時から私の大きな関心事だったのである。私は就任直後から国語の将来について意識をますます高め、講演などで意見を発表していた。そのころは将来のマラヤとの合併が念願にあったので、私はマレー語が将来シンガポールの支配的な言葉になると考えており、そう皆に話していた。

だが、この意向はシンガポール社会に大きな反応を引き起こすことになった。中国語しか話せない中国人はこれに反発、英語教育を受けた人々は自分たちの社会的地位が下がるのではないかと不安に思い始めたのだ。一方、シンガポールを共産主義の社会に変えようとする人たちにとっては、中国語は政治的意味合いを持っていた。だが、英語は事実上、公用語としての地位を一段と高めてきた。さらに経済建設のために外国との交流の必要性が増えており、私は英語を皆の共通語として確立する必要性は飛躍的に高まってきたと考えた。

一方で中国人、マレー人、インド人が民族としての固有の文化を維持する必要もでてきたのである。シンガポールの地下鉄に乗って注意書きが四カ国語で書かれているのを御覧になった日本人の方も多いと思う。政府は73年からは二言語政策を始めた。学校で英語とそれぞれの母語を教えるのだ。これは彼らが自分たちの文化を吸収する上でも大切なことだ。言葉は若いうちに教えなければいけない。
私が中国語を学んだのは大人になってからの事で、苦労した。中国人ではあるが、家庭では英語で育った。両親とも英語学校を出ていたからだ。

近所の友達とはマレー語で話していた。英語留学の際は私が日常的に使うのはもちろん英語だけだった。だが、50年代に弁護士となり、さらに政治家となって中国語しか分からない人たちとの会話が非常に重要になってきた。書いたり読んだりはできても会話が難しい。発音には苦労した。中国語で演説したのは55年の選挙運動の時が初めてだが、一ページの草稿が必要だった。英語の方は原稿抜きでいくらでも話すことができるが。マレー語の方は58年に受けた国家検定試験の一級に合格しており、自信がある。

インドネシアのスハルト前大統領との首脳会談で私はマレー語、大統領はインドネシア語を使った。この二つの言葉は単語や文法も多くが共通だし、私自身彼の話は全部理解できた。首脳会談は通訳抜きなので素直に話ができたのである。

しかし、各国首脳との会談は大半が英語で、もちろん通訳抜きである。その点、シンガポールは英語を行政用語として使っているので有利である。最近の日本の若い官僚は米国留学などで以前に比べれば英語力は格段に進歩していると思う。英語力があれば、それなりのポジションを確保し、通訳に頼ることが多かった先任者たちが抱えた問題を克服できると見ている。そうなれば、日本の政治指導者たちが外国と自由に話し合える能力も上がるだろう。

(シンガポール上級相)

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