リー・クアンユーのヒストリーvol.25 秩序の維持 健全社会、 効率的な政府厳罰も必要 「非人道的」批判当たらず
国際的な話題になったので日本でもまだ覚えておられる方が少なくないだろう。94年4月、シンガポール当局が路上駐車の自動車にいたずらして壊した米国の青年マイケル・フェイ君(18歳)に、その罰として6回のむち打ち刑を科した事件である。
本人の両親ばかりでなく、米国のメディアや人権活動家たちはこぞって、シンガポールを野蛮な国と非難した。米国政府までが、フェイ君に対するむち打ち刑の見直しを求める見解を発表した。また、批判するほどでなくても先進国の域に達したシンガポールでの「むち打ち刑」は国際社会に奇異な印象を与えたようである。
オーストラリアを公式訪問中だった私は、さっそくシドニーで記者団にコメントを求められた。「野蛮な措置だというなら、青年をシンガポールに連れてこないでほしい。連れてくるなら親は罪を犯せば厳しい罰があることを青年に教えてからにしてほしい」と述べた。私は極めて単純な話だと思っている。
私は1946年に留学で英国に初めて行って驚いたことがある。地下鉄駅の無人スタンドに新聞が山積みされ、欲しい人は横の料金箱にお金を入れて新聞を持っていく。英国に比べ、シンガポールの人々は行いや態度などがはるかに劣っていると痛感したものだ。
シンガポール社会には英国が300年に及んで築きあげた文化的な生活の蓄積がない。しかし、シンガポールは国家を建設するのに今後300年も待てない。高層ビル生活も含む新生活が始まったが、ビルの窓から、ものを投げ捨てる人にどう対処すればいいのだろうか。下の路上を歩いている人を殺傷しかねない問題だ。
西欧リベラリズムは、処罰を認めない。むち打ちに対する西欧諸国の批判は突き詰めれば人間の性善説から出ていると私は思う。人間は生まれながらに良いことをするようになっている。罪を犯すのは社会やシステムが悪いからだ、という考え方だが、そうした考えを実行している国の法秩序を見ればいい。実際には機能していない。
私は人間は残念ながら生まれながらにして性悪だと考えている。だからそれを律しなければならない。私は、むち打ちを批判する人に言いたい。シンガポールが制度を廃止すれば、より良い社会になる保証をするなら我々は廃止する用意がある。彼らは保証できるだろうか。
良い政治とは正しいことと間違っていること、良いことと悪いことをはっきりさせることだと思う。ポルノ番組を衛星放送で見られるとすれば、世界中の政府はそれに対して何かせざるを得ないだろう。さもなければ青年をだめにし、人類文明を破壊することになる。
個人がすべてに優先し、表現の自由があるという考えも、行きすぎると機能しない。現に米国は社会のまとまりを維持するのが難しくなっている。シンガポールでドキュメンタリー制作の仕事をしている米国女性ジャーナリストが私にこう言った。「夜中の二時に海岸沿いのマリーナ地区(シンガポール市中心部に近い臨海地域)にあるホテルの周辺をジョギングした。(危険な)米国でそんなことをしたら気が変になったと思われる」というのだ。若い女性や年配の女性が安心して夜中に街を歩けるような健全な社会を求める国は、米国のやり方をモデルにはしないだろう。
マイケル・フェイ君をむち打ちに処したのは、社会を安全に秩序正しく保ちたいという我々の考えを明確に示すためである。シンガポール政府は、むち打ちを非人道的だと言ってやめさせようと圧力をかける外国に屈服するようなことはない。
(シンガポール上級相)
この記事を書いた人
SingaLife編集部
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