シンガポール国立大学で学んだ金融マンに聞く~海外で学ぶ意義とシンガポールの魅力について
幼少期を海外で過ごした子女にとって、日本への帰国は時に辛いものだと聞く。自己責任のもとに自由な議論が行われる海外の環境と、守られつつも型にはまることが求められる日本の環境とのギャップに苦しむからだ。しかし、そのギャップを体感していることが、時に身を助けることもあるらしい。
今回は、シンガポール国立大学ビジネススクール(NUS-MBA)に交換留学し、現在みずほ証券勤務の黒木啓介さん(37才)に、日本と海外両方を知るメリットやシンガポールの魅力などについてお聞きした。
黒木さんは幼い頃もインターナショナルな環境を経験していたとか?
はい。最初の海外生活は中学2年生の夏学期から卒業までの約1年半、ドイツのフランクフルトで生活しました。それまでは宮崎の私立日向学院中学校の寮(現在閉寮)で生活していたのですが、父の転勤に伴い家族で渡航しました。
小学生の頃から週1回の英会話学校に通っていて、英語を使って外国人と遊ぶ経験はありましたが、自分が外国人として見られる経験はこの時が初めてで、振り返ればとても有益なものでした。
特に、地元の剣道チームで、六段のドイツ人の先生に、ドイツ語、英語日本語を交えての稽古をつけて頂いたのは貴重な経験でした。同世代のドイツ人の仲間と一緒に汗を流し、ドイツ・ベルギー・オランダの三国交流試合に参加したりする中で、言語の壁を越えてコミュニケーションが取れたことは、その後の海外生活でも大いに自信に繋がりました。
帰国後もインターナショナルな環境に居続けたのですか?環境の違いに苦しんだりなどは?
中学卒業と同時に帰国しました。両親は横浜に戻り、私は宮崎の日向学院高校に入学し、寮生活に戻りました。ヨーロッパ中を巡り、日本人として振舞っていた生活から一変。宮崎の超ローカルな環境で、海外帰りの変な奴だったのでしょう。「ドイツ人」とあだ名を付けられて3年間を過ごしました。ドイツで始めた剣道を大学まで続けたこともあり、日本らしい体育会の文化にどっぷりと浸かりました。年功序列の日本らしい文化を身をもって学べたことは、前段のグローバルな視点と対になって、今とても役に立っています。
そんな経験を経て、なぜ現在の会社に?
当時再編のど真ん中にあった製薬業界で「社員の生活を守る為に」懸命に働く父の姿の影響を受けてか、漠然と投資銀行業務に関心を抱くようになりました。日本の人口が減少する中で産業の取捨選択が求められる時代が来る。その時に必要なことは「ローカルの心情を踏まえつつ、グローバルな潮流を汲み取ること」と、漠然とした感覚をイメージしながら、2007年にみずほ証券に入社しました。
入社後約4年間は投資銀行部門で不動産に関連する業務をしていましたが、より海外との繋がりのある業務を希望し、企画セクションへ異動、弊社グループのミドルバック業務のグローバル化や海外拠点管理等を担当し、半年ほどサウジアラビア拠点での業務も経験しました。その後はイギリス拠点に1年間トレーニーとして、日本の上場企業と欧州の投資家を引き合わせるIR業務に従事しました。
そこで学生時代の海外生活は活かせた?
サウジアラビアとイギリスを括るのはやや乱暴かもしれませんが、どちらにも文化や歴史、宗教といった型があり、これを正しく理解し順応する、ということを違和感なく出来たのは、「海外で培ったグローバルな視点」と、「日本の地方・体育会で培った固有の精神文化」、その両方を持っていたからだと思います。
例えばサウジアラビアでは、イスラム教の教えそのものが生活であり、お祈りの時間には全ての店が閉まり、自由に外を歩くことも許されません。また、イギリスでは配属初日に現地のMDから、「シティのバンカーたるもの、ポケットなしのダブルカフスのシャツに黒の革靴を履くものだ」と、着ている服をたしなめられました。
日本で生まれ育った身としては、いずれも「違和感がある」かもしれませんが、自分の行動もまたその国の方からすれば「違和感がある」ことも事実です。他人の国に住むのだから、その国の視点で考えるべきであり、それがその国の“固有の精神文化”であるのだから、まずは従ってみる。こんな感覚で臨めたからこそ、サウジアラビアでは現地の友達も出来たし、イギリス拠点のMDとは今も親交を深める仲です。
そもそもシンガポール国立大学ビジネススクール(NUS-MBA)に交換留学で来ることになった経緯は?
上記トレーニー派遣の後、再び投資銀行部門に配属されました。政府系機関や会社が発行する財投機関債の引受業務を担当していたのですが、業務を通じて改めて、事業戦略や戦術、マーケティングといった一連の経営的視点の重要さを再認識し、MBA社費留学制度に応募しました。
留学先は、新潟県南魚沼市にある国際大学(International University of Japan(以下IUJ))を選びました。IUJは1982年に設立された日本最古の大学院大学で、田中角栄さんの構想の下、みずほの母体の一つである日本興業銀行出身の中山素平さんらが主導して、経済4団体や日本を代表する900社以上の有力企業の支援によって設立された大学院です。
使用言語は全て英語で、約60か国から2学年合わせて300名程度の生徒が集まり、基本的に全員が寮生活を送る、日本でも類稀なグローバル校です。英・エコノミスト誌の2021年MBAランキングでは日本で1位、アジアで7位にランクされる学校で、約140か国にわたる卒業生の中には、県知事や有名企業の社長、国連大使や駐日特命全権大使といった方々もいらっしゃいます。
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失礼しました(笑)。日本に学びに来た海外の学生達と地元の方々との橋渡しをする中で、漠然と私も「海外に行って学びたい」という思いに至りました。振り返ればこれも何かのご縁なのですが、そんな中たまたま、シンガポール在住30年超の米山健さん(Robertson QuayにあるBar Flow店主の美紗樹さんのお父様)と南魚沼市の六日町でお会いしたり、新潟シンガポール協会会長の渡部智明さんがIUJにご来訪されたりしました。御両仁とお話しする中で「やはりアジアの中心はシンガポールでアジアNo.1のMBAコースを受講したい」という思いが沸き立ち、当時1名枠だったNUS-MBAへの留学枠を勝ち取り、交換留学に至りました。
初のアジア・シンガポール生活はどうでしたか?
IUJ2年目の1学期に相当する2018年8月から約4か月間をNUS-MBAへの交換留学生としてシンガポールで過ごしました。私の他にもESADEやIESE、Bocconi、St.Gallenなどの名門ビジネススクールからの交換留学生が25名程おり、NUSが教員用のコンパウンドをシェアルームとして手配してくれました。
私はUniversity of Cologneから来たドイツ人のDanielとNHH Norwegian School of Economicsから来たカナダ人のScottと3人でシェアしました。私たちはとても仲良しで、授業、ジム、食事も一緒に過ごす仲でした。家賃こそ高い印象でしたが、時間差で色んなお店が開くHawkerはお財布にやさしくお腹も心も十二分に満たしてくれたし、その気になればバスでRiver Sideに行ってお洒落なご飯も楽しめたのは、シンガポールならではの楽しい生活でした。
黒木さんは、そこでどんなことを学んだのですか?
もちろん、確り勉強しましたよ(笑)。基礎的なMBAの授業はIUJでも学んでいたので、NUS-MBAだからこそ、ということで私は特にベンチャーに関する授業を履修しました。ベンチャービジネスの基礎を踏まえ、自身でチームを組んで起業するプログラム、実在するベンチャーをコンサルティングするプログラム、また派生的にデザインシンキングやファイナンス等も学びました。
カリキュラムを詰め込みすぎた為、やや忙しいスケジュールになってしまいましたが、自身でベンチャー投資やコンサルティングを行っている教授陣の授業は、時に現場に行ったり、起業家を招いたり、と臨場感あるものでした。
INSEIADでも教鞭をとられているProf. Virginia Chaのご縁でお会いした㈱リバネスの代表取締役の丸さん、リバネス・シンガポール代表の徳江さんには、会社にお招き頂き、アクセラレーションプログラムや、ベンチャーを活用した企業のオープンイノベーションイベント運営のお手伝いをさせて頂いたりと、今の業務に通じるような体験もさせて頂きました。
また、NUS-MBAにはより高い目的意識を持った学生が多く集っている印象があります。様々なバックグラウンドを持つ多国籍のメンバーでのグループワークを通じて、チームアップ、主導権の取り方、メンバー間の調整、方向の軌道修正、最後の追い込み等、様々なスタイルがあることを体感し、実践出来たのはとても大きな学びになりました。
一緒に学んだ日本人仲間との縁にも感謝しています。企業・政府からの留学生は勿論、就業しながら通う人や、一念発起し会社を辞めて留学した人もいましたが、在学期間1タームだけの私も仲間として受け入れてくれ、帰国後は結婚式や同窓会にも呼んでもらいました。(SingaLifeに登場した)ロッキーこと轟武士君のように、常に刺激を与えてくれる仲間と巡り会えたことは、授業で学んだことよりも更に大きな収穫だったかもしれません。
今日本に居る黒木さんから見て、シンガポールの魅力は?
4か月間しかおりませんでしたが、感じたのは「基本的に全てが納得のいく、合理的な考え方」ということですね。例えば、物価が高いと言われていますが、公共交通機関は日本と比べても安いと感じたし、時間によって運賃が変わるのも気に入っています。喫煙には厳しい罰則もあるけど、その分、喫煙所や灰皿が至る所に設置されている。食事もお酒も高級店では目が飛び出る値段ですが、Hawkerに行けばビールとおいしいご飯が安価で楽しめます。そして治安(犯罪率)は日本よりも良い。政府がやるべきことをしっかりやっている印象を受けました。
また、積極的に動けば、日本ではなかなかお会いできないような方々とも会える環境も素晴らしいと思いました。某星付きレストランでは日本ではまずお会い出来ないような方々とご一緒させて頂いたし、Hawkerでは地元のお爺さん達とビールを飲みながら、シンガポールが抱える課題について教えて頂きました。アジアのハブたるシンガポールならではの多様性を体感出来る環境は、唯一無二だと思います。
またシンガポールに戻りたくなってきました(笑)。
そんな気持ちもありつつ、現在は、どんなお仕事を?
2019年の夏にIUJを無事卒業し、今は自己資金投資の部署にいます。主にファンドへの出資を行いつつ、日本企業の皆様のオープンイノベーションのサポートなどもしています。
歴史と実績を有する大企業と、ある意味その対極にあるベンチャー企業の方々が結びつくのは容易なことではありません。どちらが優れているとか、間違っているとかではなく、双方を橋渡しし、折り合いを付ける。そういった取り組みの中で、自身が有する「海外で培ったグローバルな視点」と、「日本の田舎・体育会で培った超ローカルな感覚」は、とても役に立っています。
また、南魚沼市でのご縁もあり(本業の傍ら)2021年度から「南魚沼市まちづくり推進機構」のアドバイザーも務めています。「Genuine Japan」と呼ぶに相応しい伝統的な日本を有する南魚沼の地で、南魚沼市を訪れたり、関わる方を増やすお手伝いもさせて頂いています。
今後の目標は?
自身のネットワークをもっと広げて、企業、地域、人同士の橋渡しを更に加速させていきたいですね。
元来飲み好きなこともあり、どの国・どの地域に行っても、飲みニケーションを続けてきました(サウジアラビアでも、コーラと7UPとスタバのコーヒーで語り合ってきました)。色々な人との出会いが自身を成長させてくれたという自負もあり、私の根底はいつも「人ありき」です。
海外と日本、グローバルとローカル両方を体感してきた自身だからこそ、「この人とこの人を繋いだら、きっと面白いことになる」という閃きによる橋渡しをもっとやっていきたいと思います。
本業では、国内外のファンドやベンチャーの方々、企業の方々の素敵な出会いを仲介していけるようなプレイヤーになりたいし、お世話になった南魚沼市では、地元と他の地域、そして海外を繋いでいきたいです。
読者にメッセージを☆
日本で改めて感じるのは、残念ですが「活力に溢れた人と会えることは、人生の中でそんなに多くない」ということです。4か月間のシンガポールライフで私がお会いした人達は、皆“何かやってやろう”という活力に溢れる方々で、アジアの中心で野心をもって生きている方が多くおられました。
仕事は勿論、街やお店でたまたま会う人。立場や年齢こそ違えど、祖国を出てチャレンジしている仲間同士です。こんなご時世だからこそ、祖国を背負ってチャレンジする仲間同士、お互いに励ましあっていければ素敵だと思います。
コロナ禍で、オンサイトでのコミュニケーションもしにくい環境が続いていますが、だからこそ、遠く離れた昔の仲間のみならず、近くの未だ見ぬ仲間に思いを馳せて頂けたらと思います。苦しいときはお互い様。この危機を一緒に乗り切って、解禁と同時にまた街に繰り出しましょう。飲みニケーションを通じて、日本、シンガポールを盛り上げていきましょう!そして、ご帰国の際は是非、新潟・南魚沼市へ足をお運び下さいませ♪
<黒木 啓介さん>
宮崎県生まれ横浜市育ち。2007年みずほ証券入社後、投資銀行部門、企画部門、ロンドントレーニー派遣等を経て国際大学に社費留学。在学中NUS-MBAへの交換留学枠を得て2018年に渡新。現在は会社の自己資金投資を担う投資業務部にて主にファンド投資等の業務に従事。
上智大学経済学部経営学科卒(竹之内ゼミ長/体育会剣道部第四十二代主将)、国際大学国際経営学研究科修士、国際大学OB会副会長、南魚沼市まちづくり推進機構アドバイザー
この記事を書いた人
SingaLife編集部
シンガポール在住の日本人をはじめ、シンガポールに興味がある日本在住の方々に向けて、シンガポールのニュースやビジネス情報をはじめとする現地の最新情報をお届けします!