リー・クアンユーのヒストリーvol.30 21世紀へ ベストは尽くした人類の幸福、資源より知識

私はシンガポールの建設をともに担ってきた同僚のゴー・ケンスイ氏とこんな話をしたことがある。私がバスにひかれ、彼が首相になっていたら実際には何が起きただろう。

彼は「率直に言って私はあなたのやり方はできない。やり方を変えるだろう。もちろん方向は同じだが」と答えた。彼は私ほど性格が激しくないが、私と同じくらい強い意志の持ち主だ。ただし人間関係の扱いは私ほど上手ではない。国家運営の方法は違っていただろう。

また、仮に私が1970年代に生まれていたとしよう。私はまだ20代である。奨学金を得て外国に留学に出て帰ってきても社会の環境は、私のころとは全く違う。描く将来も違うだろう。シンガポールの社会を変えようとして夢中にはならないだろうし、国に責任を持つことなど考えもしなかったろう。

つまり私は時代の産物なのだ。日本の占領ですべてが壊れた。力が何かを知った。それからすべてが始まった今、21歳に戻ったとしても、この仕事を進んでしたとは思わない。当時、私は何かしなければならないとの抗しがたい気持ちに突き動かされていたと思う。そして一生懸命ここまでやってきた。少なくとも発展途上だった国が世界の先進国と肩を並べられる水準に近づいた。

時々、首相の仕事を離れてさびしくないかと質問を受ける。上級相になってはや十年近いが、率直に言ってそんなことはないと断言できる。仮に私がまだ首相の座にあれば、毎日の仕事のほかに、東南アジア諸国連合(ASE-AN)首脳会議、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席し、各国訪問もこなさねばならない。

米国、英国への公式訪問はもう十分だ。私はジョンソン大統領からブッシュ大統領まで米国歴代大統領と会談してきた。まだ首相だったら、クリントン大統領とも会談しなければならない。ベトナム戦争を支援し、過去の米大統領を励ましてきた私が、ベトナム反戦のクリントン氏と話すには相当の努力がいる。これはもう私の仕事ではない。

私は、これまで幸運だったと思う。もう一度同じ仕事をやっても同じ幸運には恵まれないだろう。私がいま言えることは、シンガポールを立派な国にしようとベストを尽くした、ということだけである。置かれた環境の中ではこれ以上のことをすることはできなかったと思う。それを人々がどう評価するかは自由である。

日本に関して言えば、一つだけ思いの残るのは戦争責任問題だ。私に会見を申し込んだドイツ閣僚や企業人の履歴書を見ると、第二次世界大戦時の履歴もちゃんと書き込んである。多くの日本人の場合、そこが空欄なのが不思議でならない。次第に日本の世論は変わってきていると思うが、「謝罪」して過去を閉じ、新しい時代のページを開くのが前向きだと思う

世界は間もなく21世紀に入る。我々はいま人類のいろいろな問題を解決できる技術を持っている。人類の幸福は資源や国土、人口などの多少ではなく知識、生産性、健康、環境などにかかっている。戦争を避け、世界中の人が国際システムに参画すれば21世紀に世界の未来は明るいと期待している。

日本の読者の皆様にはご愛読に感謝を申し上げたい。なお、私がしたためてきた回想録の第2巻は、最近の東南アジアの経済情勢の急変を踏まえて書き直しを進めている。経済、外交など触れられなかった問題も含めて、第2巻に期そうと考えている。

(シンガポール上級相)
==おわり


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この記事を書いた人

SingaLife編集部

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