シンガポールで動き出す 日本人学校中学部の特別支援教育への願い

シンガポールに在住する多くの日本人の子どもたちが通う日本人学校。現在はチャンギ校およびクレメンティ校の2つの小学校と1つの中学校があり、約2000名の子どもたちが日々学んでいます。

そんな多くの在星邦人の子どもたちの学び舎となっている日本人学校ですが、現状小学部の両校(チャンギ校・クレメンティ校)にある特別支援学級および通級指導教室(※)が中学部にはありません。

そのため本来ならば支援を必要とする児童が日本語での適切な支援を受けられなかったり、日本での支援を受けるため帰国を余儀なくされ家族がバラバラになってしまったりするケースが生じています。

今回は日本人中学校の特別支援級設置を積年の想いとする学習塾KOMABA塾長・石川晋太郎先生と、医療関係者として支援級の存在意義を訴える日本人会クリニック医師・毛利由佳先生、また設置への働きかけを保護者有志と取り組んでおられるOne Asia Lawyers 弁護士・森和孝先生にお話を伺いました。

※通級指導教室:学習面や生活面で困難がある場合、子どもの自立を目指し困難を改善・克服するために一人一人の状況に応じた指導を行うクラスのこと。通級とも言う。





特別支援教育の推進が15年間求められる理由

2007年度末に日本人中学校での特別支援教育に対する規模縮小がなされてから設置を希望する声が上がり続けている、日本人中学校の特別支援学級。

さらに現状では日本人中学校に特別支援級や通級がないことから、小学5年生以降に通級や支援級の在籍記録があると日本人中学校への入学は原則的に不可というルールになっています。

そうした状況は、開校以来継続的にシンガポールに住む日本人子女の教育相談に乗るKOMABA塾長・石川先生の視点からどう映るのでしょうか。

学習塾KOMABA塾長・石川晋太郎先生


「以前から特別支援教育に取り組まれていたチャンギ小に加え、クレメンティ小でも2019年度から支援級が設置されました。これは子どもたちや保護者の方々はもちろん、教育を見守る塾の立場としても大変喜ばしく、実際に両校の受け入れがさらに充実したことで塾に寄せられる相談や不安の声はグッと減りました。

そうした両小学校の素晴らしい環境は、海外であることをふまえると決して当たり前のことではありません。日本人中学校に支援級を作るというのも、他の海外の日本人学校に先例があるとはいえ決して簡単なことではなく、成し遂げるのは偉業だと思います。

しかし日本人中学校に支援級がないことで、やはり我々の塾でも苦渋の決断を強いられた末、お母さまとお子さんだけが日本に帰国したケースや、特別支援のあるインター校に入学したケースもあります。

それらは一見、点で見れば『進学先が決まる』ことで問題が解決したように思えます。ただ、日本でお母さまがお一人で育児をされることで心労がたたってしまったり、インターに入学はしたものの英語の問題で学年を落とさざるを得ない、もしくは2〜3年経っても学年が上がれずに結局日本に帰ったときの進路に差し支えたりと、線で見ると課題は残り続けています。

長年シンガポールで教育に携わる石川先生は、シンガポールに住む日本人の子どもたちの強みについてこう捉えます。

「私はインター校・日本人校すべての学校を含めて、シンガポールで学ぶ子どもたちの強みは『多様性を受け入れる心』だと思います。それはシンガポールの社会全体が多様性のうえで成り立っているからです。

そうした多様性社会においては、学校生活の上でも多様性があるのは自然なこと。それを受け入れる子どもたちの心という土台がしっかりとした恵まれた環境であるからこそ、大人がその枠組を作ってあげたいと強く思います。」




医療関係者から見る支援の場の存在意義

また医療関係者の視点では、小学生高学年以降が適切な支援を受け難い現状をどう考えるのでしょうか。日本人会クリニック医師・毛利先生にお話を伺いました。

日本人会クリニック医師・毛利由佳先生


「懸念点はいくつかありますが、そのうちの大きな2つの問題点を挙げさせて頂きます。まず一つは高学年になるほど勉強の内容が難しくなり、学力差が顕著になってくること。今の状況は、低学年から支援を受けていた子だけでなく、高学年になって初めて支援が必要と気づいた時の受け皿がないということでもあります。

またもう一つは、小学5・6年生〜中学生といった思春期になると周りとの差を自覚する子が増え、それがストレス要因となりメンタルダウンを起こしたり、身体に症状が現れたりすることがあります。眠れなくなったり、過食・拒食になったり、自分の存在価値を見出だせずゲームやネットの世界に依存したりということにつながってしまうこともあります。」

現状の問題点を指摘される一方で、支援級の設置に慎重になる立場も理解はできると毛利先生は続けます。

「医療関係者の中でも『中途半端な支援ならしない方がいい』という意見があり、これ自体には理解できます。

例えば、ここシンガポールのような海外では日本と比較し、中学卒業後の進路のサポートができない状況などが挙げられます。日本の公立中学の支援級の場合は、自治体との連携でその後の進路の相談やこれまでの事例を保護者と共有することができますが、全国津々浦々から子どもたちがやってくるシンガポールでは確かに難しいです。

でも中学卒業後の進路の保証ができないのは、普通級の生徒も同じですよね。その点においては『支援級卒業後の進路については、親御様から各自治体にお問い合わせいただく』というのを先に明示しておくのも一つかなと思います。たしかに昔は自治体も個人からの問い合わせには取り合ってくれないケースもありましたが、今は丁寧に対応してくれることがほとんどです。

また、一旦支援級を設置したら、持続させることが十分可能かも配慮する必要はあります。設置はしたけど、すぐ辞めることになったのではそれに振り回されてしまう児童への影響が懸念されます。設置後の維持は重要課題の一つです。現在、日本国内ではかなり整備が進んでいますので、在外日本人学校などへの支援も期待したいところではあります。」


本来であれば支援を受けるべき児童が支援を受けられなかったことで、苦い思いをされた症例もあったと毛利先生は続けます。

「実際に日本人中学校に進学できないために、特別支援のあるインターに入学させはしたものの、急に日本語から英語環境に変わったことから不登校になってしまったケースもあります。医師としてこうした症例に出会うと、その前に大人がなんとかできることもあったのではないかと悔しくてなりません。

私自身は、支援級設置は支援を要する児童にも要さない児童にもどちらにとってもメリットの方が大きいと考えています。普通級の児童にとっても助け合いや学び合いにつながると思うのです。

慎重になる方の意見も理解できるものではありますが、10年前とは違い今は日本人小学校でのすばらしい支援の実績もあり、他の海外の日本人中学校での事例もあります。私自身も医療関係者としてサポートを惜しみませんし、子供たちに一つでも多く選択肢を用意してあげたいという気持ちです。」


日本人社会で暮らす一員として関心を持つこと

当事者のみならず、さまざまな専門家からも設置が望まれる日本人学校の支援級。そうした専門家や保護者からの声を受け、支援級設置のために各所への働きかけや協力要請を行っているのが弁護士の森先生です。

One Asia Lawyers 弁護士・森和孝先生

「日本人中学校に支援級設置されることを希望するお子様たちやその保護者の方が、自ら声を挙げるというのは非常に困難です。

そこで事情を聞いた私をはじめ、教育や医療の専門家と保護者有志とで学校側や運営理事会にお話をさせていただき、日本の関係省庁などにも現状を話し支援級を設置するうえでのサポート要請を続けています。

在外教育施設において、特別な配慮を必要とする児童生徒数は、この5年で倍以上と日本国内よりも早いペースで増加しています。

日本では平成28年に障害者差別解消法が施行され、私立学校であっても、障害等を理由に入学を拒否することは禁止されましたし、令和3年の改正によって合理的な配慮を提供することも法的な義務となりました。

日本国外の教育施設であっても、日本の文部科学大臣の認定を得た学校ですので、可能な限り日本と同等の環境が整備される必要があります。

これまでの働きかけの中で、在外教育施設に支援級は必要ないというご意見は一度も耳にしませんでした。ただし中途半端ではなく、しっかりとしたものを作るよう働きかける必要があるということは何度も助言いただきました。それも肝に命じて活動しております。」

さらに森先生は支援級設置に向けた取り組みを続けるなかで、いままで享受してきた「当たり前」に改めて感謝し、そのうえで今度は自分たち一人ひとりがより良い未来を次世代に残す意識を持っていきたいと語ります。

「日本人中学校は、日本人会が設置、管理、運営をしています。ですので支援級を設置するか否かの最終決定権限は日本人会、さらにはその最高意思決定機関である日本人会総会、つまり個々の日本人会の会員の皆様にあります。これは私自身の反省ですが、これまで日本人会が会員のために運営してくださる運動会やドッジボール大会など、メリットばかりを享受して、日頃の運営に協力したり、運営全般に関心を持って積極的に関わってきたりしていませんでした。

そうした反省や周りからの要請もあり、日本人中学校に支援級を設置するためのサポートを内部から行いたいと思い、先日の日本人会の理事選に立候補をしました。

結果は落選でしたが、この選挙の中で多くの方に支援級の問題を知っていただけたのではないかと思います。この問題はシンガポールで暮らすすべての日本の未来の子どもたちに関わるので、私たち日本人全員が関心を持って、今後の経緯に注視していかなければと思っています。

その意味でも、まずは3月17日(木)18:30〜より日本人会館で年次総会が開催されます。

理事の方々が会員のために日々業務を執行してくださっているなか私たち会員はそれをただ甘受するだけではなく、どのように日本人会を運営してもらいたいかを提案する、それが総会の役割です。

総会に多くの会員の方が集まり、支援級の問題を含めて日本人コミュニティのために日本人会にどうあってほしいか、建設的な議論につながる場となることを願っています。」


3月17日(木)は日本人会2021年度年次総会が開催

日本人学校を運営するシンガポール日本人会では毎年3月に年次総会が開催されており、今年度の総会は3月17日(木)18:30〜より下記の通り開催されることが日本人会ウェブサイトで発表されています。

日時 2022年3月17日(木)18:30〜
場所 日本人会オーディトリアム(3F)

ぜひご都合のつく会員およびご家族の方は、足を運ばれてみてください。
(*開催概要や出席申込方法などについては、日本人会ウェブサイトにてご確認ください)


取材後記

今回、この記事を書く筆者自身も支援を必要とする子を持つ親としてこの問題に関心を持ち、取材をさせていただきました。

筆者自身は来星から間もないですが、いまある様々な施設や設備はこれまで在星邦人の方々が作り上げてくださった努力の結晶だと取材を通して改めて実感しました。

その思いを絶やすことなくこれからも選択肢が充実した社会になることを願い、一方で自分自身もその恩恵を当たり前と思わずできることを還元し、次世代を担う子どもたちによりよい環境を残せるよう力を尽くしたいです。




この記事を書いた人

Riku Aoki

マイナーな関西地方出身のWebライター。コロナ禍の真っ只中で渡星。初めての海外生活をシンガポールでドタバタと楽しく経験中。