ミヤザキケンスケ「Over the Wallな世界」シンガポール現地特別講演会 世界中の壁に絵を描く意味と平和を願う想い
世界中で壁画を描く「Over the Wall」を主宰するミヤザキケンスケさんによるシンガポール講演会が行われました。これまで描いてきた壁画のエピソード、貧困の街や紛争地などで描く理由、ウクライナで描いた壁画のことについてお話いただきました。
国内外でアーティストとして活躍するミヤザキケンスケさんによる特別講演会が8月4日行われました。ミヤザキさんは、世界中で壁画を残す活動「Over the Wall」プロジェクトを主宰し、様々な地域で現地の人々と一緒に活動をしています。
今回の講演会は、このプロジェクトを開校当初から支援しているKOMABAオーチャード校で開催しました。講演には会場とzoom視聴者共に多くの方々が参加し、ミヤザキさんの活動について世界の壁面に絵を描く理由など聞き応えのある講演会となりました。
ミヤザキケンスケさんの描く絵のモットー
ミヤザキさんのハッピーで明るい絵はどこから生まれたのか。
学生の頃は、暗い色やモチーフの絵を描くこともあったそうですが、自分らしさを突き詰めて考えたときに学生時代がとても楽しかったこと、その経験が自分を作り上げていることに気づき、それを基盤としてハッピーなものを描くのをモットーにしていった話すミヤザキさん。
「せっかく描くなら突き抜けたものにしたい」と原色を使ってハッピーが溢れる絵を描くことを心掛けているそうです。
そしてそれは世界の壁面に描く活動「Over the Wall」の絵にも通じているとミヤザキさんは話します。
「Over the Wall」プロジェクトのヒストリー
-2015年 ケニアのスラム街での制作 -2016年 東ティモールの国立病院での制作 -2017年 ウクライナでのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)との共同制作 -2018年 エクアドルの女性刑務所での制作〔日エクアドル外交関係樹立100周年事業〕 -2019年 ハイチでの国境なき医師団との共同制作 |
2015年ケニアからスタートしたプロジェクトで、紛争地や貧困の街に明るいイメージの絵があれば前向きに暮らしてくれるのではないか、そういった絵をそこに暮らす人と描けたらと、現地の人と話し合いを重ねて、現地の人が後々自分達が描いたんだと語り継いでくれる、そして明るくなるような絵を残してきたそうです。
「最初にケニアのスラム街に明るい色の壁画を描けたら、と思いスタートしたプロジェクト。その次が内戦を経て独立した東ティモール。2019年はハイチで、非常に治安が悪く、街を歩くことができないほどでしたが、国境なき医師団の病院に受け入れていただき、スラム街にある火傷を治療する病院スタッフと共に気持ちが安らぐ絵を描きたいということで、緑をたくさん入れた絵を描きました。小児科には気球を入れて少しでも楽しい気持ちになってくれたらと願いを込めています。」とミヤザキさんは語ります。
「Over the Wall」プロジェクトで必ずしている3つのこと
この活動の中で、必ずこうするというルールのようなものをプロジェクトに課していて、それがこの活動のポイントにもなっているとのこと。
1つ目は、壁画を現地の人に大切にしてもらうために現地の人たちと一緒に描くということ。自分で描いた絵はその絵の意味も含めて周りの人に伝えようと思うし、長く大事にしてくれるから。
2つ目は現地で絵画教室、ワークショップを行うこと。ハイチ(ハイチだけでなくこれまで全ての国でサポートいただいています)ではサクラクレパスさんが画材を提供してくれ、その展示会なども行いました。
3つ目は世界をつなぐこと。壁画を描きに行くことになっている次の国を現地の人と調べ、その国の人たちがたとえ海外に行くことが難しい状況でも色んな国の人と繋がる体験ができればと必ず次の国についていろいろ一緒に調べるということをしています。
こうした活動を通して、ミヤザキさんは現地の人と深く交流し、たくさんの知り合いが現地にでき、1年後、2年後に訪れても喜んで受け入れてくれ、壁画も大切にしてくれている様子を見ることができるそうです。
印象に残っている壁画
-2018年エクアドルの女性刑務所で
「女性受刑者がいる刑務所には5歳までの受刑者の子ども達が同じ敷地で生活していて、その子達のために何か楽しい壁画があればと描きました。南米で貧しい国のため、家計を助けるためにドラッグの運び屋をして逮捕される人が多いという現状があります。
お母さん達が主役になれる絵をという意味を込めて、子どもをイメージして花を1人一つずつ描いてもらいました。中には病気で子どもを亡くし、その子との思い出の花を描いた人もいました。
最初はコミュニケーションが難しかった人とも絵の完成に近づくにつれ打ち解け、ずっと絵に参加できなかった人が最後にダンスしてくれたり歌ってくれて、心が通じる経験をしながら、刑務所で育つ子どもを思いながら愛が伝わる壁画が完成しました。
この後、この壁画をきっかけに受刑者達が安定して過ごせるようになり、刑務所内で積極的にアートセラピーを行う専門家を雇うになったとのことです。」
-2017年ウクライナ、マリウポリの学校で
国連の難民を支援するUNHCR(ユネヌエイチシーアール)という団体から最初に依頼を受け、それがきっかけになり在日ウクライナ大使館、在ウクライナ日本大使館からも事業として認定され、平和を意味する壁画、日本との国交樹立25周年を記念する壁画をということで、キエフとマリウポリで壁画制作することに。
「当時もウクライナは政府と親ロシア派とで内戦状態で、夜は砲撃の音が聞こえることもあるという市民の話もありました。
そんな中でもマリウポリでは避難民を受け入れていて、その現状からウクライナに伝わる絵本『てぶくろ』をモチーフにした壁画にしよう、ということに。絵本のお話にある、森にあった手袋にネズミやカエル、ウサギなど様々な動物が棲みついて共同生活するという、マリウポリの避難民受け入れや色々な民族が共存している状況にも通じ、明るい幸せなイメージのある絵になりそうと思い、地元の人から材料をもらい足場を作るところから制作しました。
ウクライナ発祥ともいわれるイースターエッグは卵が孵る=平和、復活祭のイメージも重ねました。11m x 11mというかなり大掛かりな絵を地元の人たちと描きました。」
2022年に大きく被害を受けたマリウポリ
当時も内戦状態ではあったが、まだ綺麗な街でした、と話すミヤザキさん。手袋の絵の中には色んな民族の人や希望の鳥を描き、平和と共存を訴える意味のある絵に仕上がりました。
完成披露会には日本に住むウクライナ人女性歌手が完成記念に日本とウクライナの友好として『上を向いて歩こう』を歌って披露してくださったそうです。その様子が現地メディアで放送されていました。
今年4月末、マリウポリに住む壁画を一緒に描いた人々と壁画が気になり連絡を取ろうとするもなかなか連絡がつきませんでしたが、ポーランドに逃げた方から街を出る直前に撮影して送ってもらった写真を見て息を飲んだというミヤザキさん。
「平和を願うために描いた壁画が戦争によって壊されたことは、これほど悲しいことはありません。この壁画があることで戦争が無くなればいいと願ったのに何の意味があるのだろう、とも思いました。でも現地の人が、きちんと描ける時がきたら、また描きたいと言ってくれたんです。」
その後、壁画を描いたときに様々なサポートをしてくれた現地のスタッフのルナさんが、ウクライナ難民として日本に来るため模索していると知ったミヤザキさんは、彼女を受け入れることに。
ポーランドに着の身着のまま逃げてきたルナさんが様々な手続きを経て、日本に来られたのはウクライナが軍事侵攻されてから約3ヵ月後の5月末でした。
「戦争の是非はわからないけれど、人が住むところがなくなるようなことはおかしいということだけは分かります。5年前に壁画のプロジェクトで知り合った彼女が僕を信頼して日本まで来てくれ、平和について改めて考えさせられ、自分にできることをしたいと思い、もう一度ウクライナで平和の壁画を描くことが夢になりました」
今後のプロジェクト予定
9月:石巻壁画プロジェクト クジラがシンボルの壁画 9月:ベナン(アフリカ) 700ヵ所の太陽プレートに描くための絵のレクチャー 11月:パキスタン 小児科の病院 |
ミヤザキさんが受け入れているウクライナ難民の方に
これからもミヤザキさんは世界に「スーパーハッピー」を届けるべく、絵を描き続けたいとお話されました。学習塾KOMABAをはじめ、シンガポールの方、日本の方がさまざまな形で活動を支援しています。
なお、ミヤザキさんが受け入れをしているウクライナ難民の方への義援金を受け付けています。少しでも支援したいと思われた方は、ぜひご協力をお願いいたします。
Over the Wall
ミヤザキケンスケ
問合せ:info@miyazakingdom.com
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この記事を書いた人
SingaLife編集部
シンガポール在住の日本人をはじめ、シンガポールに興味がある日本在住の方々に向けて、シンガポールのニュースやビジネス情報をはじめとする現地の最新情報をお届けします!