<特別プロモ有り!>シンガポールの日系美容の先駆者で最高峰。Shunji Matsuo創業者の故松尾俊二氏。〜シンガポールの気になる人File.1〜
シンガポールには多彩なひとたち、アート、ビューティ、趣味の人などユニークな人達が沢山います。そんな気になるあの人をフューチャー。
そんな中から今回は故人となられましたが、美を追求した人、松尾俊二さんです。
シンガポールの日系美容室の草分け的存在にして、最高のカット技術を提供する美容院「Shunji Matsuo」の創業者です。シンガポールにいらっしゃる方なら一度はその美容室の名前を耳にしたことがあるはず。
2017年に鬼籍に入られた松尾さんが、どうしてシンガポールで美容院を開業するに至ったのか。この記事で明らかにされる事実もたっぷりです。ぜひ、ご覧ください。
2008年にMANE MAN, 2016年にMake Over Magicと生涯2冊の本を上梓した松尾俊二さん。自伝の出版を考えていたそうで、秘書をしていた方がその下書きと思われる書面を遺品の中から見つけました。幼少期から高校時代までをの下りですが、そこには興味深いエピソードが綴られていますので、追っていきます。
こだわりのエピソードを持っている
料理人の父、主婦の母、姉2人と兄がいる四人兄弟の末っ子として誕生。ご本人曰く、「普通の男の子だった」勉強もスポーツも苦手。ただ走るのだけはいつも1番でした。
でも「変わったところがあった」と母から言われたそう。
例えば姉の服を着て外へ出たり、幼稚園のころにお絵描きの時間に芸妓や日本女性の絵を描いたり。そして幼い頃に1番好きだったのは、デパートの西洋人形売り場。子供の足で20分ほどかかるけれど、
そこまで歩いて眺めるのが1番の贅沢。買って貰えなくても見るだけでワクワク。雑誌で写真を見る時もなぜかヘアスタイルばかりを見ていました。
潜在意識の中には、幼い時から美に対するこだわりがしっかりと根付いていたのかもしれません。
強い運命を、意志を持っている
たまたま開いた姉の雑誌(女性自身1967年)に、たまたま掲載されていた須賀勇介さんの記事を、たまたま読んだ。その瞬間に自分の未来を決めた…。この時、俊二さんは17歳。この確率はどのくらいでしょうか。もしここでこの須賀さん掲載誌に出会えなかったら、俊二さんの人生は?
勉強には興味がなく、大学へ行く気はなかったそうです。未来はまだ漠然としていた。そんな俊二さんの人生がこの雑誌で変わりました。
前述の下書きには、こう綴られていました。
「読んだ時に何かがひらめいた。何度も何度も読み返して『絶対に彼のようになる。彼の進む道へ続く。彼の住んでいる世界は華やかな世界。そこには今は見えていない世界がある』と彼の後を追うことを決意した」。
そこには揺るがない、強い意志があります。
美容の事など何も知らず、ただ須賀さんが学んだ山野美容学校に入学するためだけに、生まれて初めての新幹線で東京へ。卒業後、インターンを経て、1971年には、いきなり故郷の神戸で友人とお店をオープン。たった21歳で経営者の第一歩を刻んだのです。そして71年にマンハッタンにお店を開いた須賀さんが、東京にアシスタントを探しに来ると聞きつけて即上京。最終選考に選ばれた。ここでも情報を得る力が、そして運命を引き寄せる強い力を感じます。
そして行動力
選ばれたものの、待てど暮らせどニューヨークからは連絡が入らず…。
しかしそこでただ待つだけではないのが俊二さん。逡巡せず、まず行動。アメリカでヘアスタイリストとして活躍するのに必要な資格を補うため、まずアメリカへ渡ることに。そのために人の2倍働き資金を貯め、ロサンゼルスにあるヤマノビューティUSへ入校し合格。
卒業間近に須賀勇介氏に手紙を書き、既にアメリカにいると伝えると、何も心配せずすぐにニューヨークへ来るようにと嬉しい言葉得ます。ここでやっと夢が叶う、自分の人生が変わるとわかったそうです。
1974年にやっと念願のニューヨークへ!夢がスタートした1967年から、ここまでがたった7年。考えればすごいスピードです。そしてアメリカへ行くと心を決めると、お店経営からは手を引きひたすら前へ前へと進む。行動あるのみの一言ですね。
目標を決めたらブレない
NYへ到着して待つこと数日。やっと憧れの須賀さんと再会。彼のアシスタントに任命されます。そこから須賀さんのアシスタントとして多くの撮影現場に同行。トップフォトグラファー、リチャード・アヴェドン(1923-2004没 洋服を通してモデルの内面を引き出す、ファッション写真を変えたと言われる巨匠)のヴォーグやハーパースバザーなど多くの雑誌やCMを手がけた須賀さんの技術に触れることができました。俊二さんは世界のトップクラスの現場で実に多くを学んだと言います。
1983年にソロでアヴェドンと仕事をするチャンスにも恵まれます。初の9日間の撮影で初日には髪型のやり直しを命ぜられるが、チェンジした髪型は気に入り、撮影後には彼から感謝されたそう。数ヶ月後にはディオールの仕事につながります。
ここで自信がついた俊二さんは、須賀さんの足跡を追うのでなく、自分自身の道をいく事を決意。フリーランスとなりました。撮影の仕事では、いくつかのキャンセルが続いて自信を失ったこともあった。
でも諦めず自分の出来ることを続けていた時に大きなチャンス到来。イギリス版ヴォーグのダナ・カランのインタビュー記事のヘアを担当し、そこからダナのプライベートのヘアも担当するように。ここで彼女の色々なリクエストに答えることで多くのことを学びます。そうするうちにキャリアの飛躍のきっかけとなる仕事が舞い込むのです。それがハーパースバザーの表紙です。
このハーパースバザーの表紙が次の仕事を呼び、ミシェル・ファイファーとやアンディ・マクダウェルと仕事をしたハーパースバザースペイン版。ウマサーマンと仕事したのは彼女が15歳の時。マドンナは最初彼のヘアスタイルが気に入らず、往年の美人女優グレタガルボのようにとしてくれと注文。そこでパッとグレタガルボヘアにしたそう。
フォトグラファーのジル・ベンシモンとは多くのCM撮影を撮りました。カバーガールの仕事でスーパーモデルのクリスティ・ブリンクリーと、エリザベスアーデンではジャッキー・アダムスのヘアを担当。そうして順調に俊二さんの名前は広がっていきました。
将来への地図を明確に
フリーランスの仕事は順調だったけれど、俊二さんは幸福感を得られなかったそうです。理由のない不安感に不眠気味になったり。
そこで熟考し1986年にフリーランスに別れを告げ、共同出資で37.57サロンをオープン。その3年後には37.57サロンに別れを告げ、新たにサロンZIBAをオープン。一日200−280人の顧客をさばく程の人気店になりました。もちろん店の傍ら、引き続き雑誌などの仕事も続けていたそう。
サロンZIBAで忙しい日々を過ごしながらも、20年いたアメリカからアジアへ戻りたいと考えるようになった俊二さん。郷愁だけでなく、これからはアジアの時代と未来を見越していたのでしょう。
そして1996年にZIBAのシェアを手放し、顧客の招聘に応じインドネシアのジャカルタへと舵を切ります。最初はビルの一角でしたが、後に本当に作りたかった理想の店を作る事に。美しい2階建ての一軒家を借り、ヘッドスパやネイルも含めたビューティサロンをオープンしました。
富裕層や日本人に受け入れられ、忙しい日々を過ごしていた中、1998年にスハルト大統領が辞任。すると国内に騒乱が巻き起こり、やむなく国外退去することを決めた俊二さん。国外脱出を試みる、多くの人でごった返す空港からやっとシンガポールへ到着。そこから1ヶ月の滞在中、実に気が重い日々だったと言います。せっかく築いたものがゼロになったという思い、将来への不安感…。
一旦日本へ帰国するが、1998年初頭にはインドネシアへ戻ります。ここがまた俊二さんの逞しいところ。大変な思いをして逃げた場所へ、敢然と戻るのだから。そしてインドネシアの店を再開、軌道に乗せる。でもそこで安住するのではなく、また次を考えるのが俊二さん。1度行っただけのシンガポールを次の目標にします。本当に先見の明がある人です。まるで現在の、シンガポールの繁栄を見越していたかのような。
インドネシアの店を知人に譲り、自分はシンガポールで1からスタート。1999年11月にシンガポールにお店を開店、同12月7日のストレイトタイムスにフューチャーされたことによって、お店は爆発的な人気に。ここからShunji Matsuo伝説シンガポール編が始まったのでした。
心開き、心の声を聴く
順調に店舗やフランチャイズも増えて行っていた頃、突然の発病。2008年、肝臓癌との診断を受け、手術。
幸い手術は成功、静養生活を送る事になった俊二さん。そこで目にしたのが、くすんだ、色のない服をまとう日本の高齢者の方々。粋でお洒落なファッションを好んでいた俊二さんだから、尚更感じられたのかもしれません。そこでヘアやメイクで元気付けてあげられないかというアイデアがひらめきました。そこから新しい使命、高齢者をきれいに元気にという使命が生まれたようです。
2013年に最初のメイクオーバーマジックを神戸で開催。鮮やかなドレスに身を包んだ女性達は皆弾ける笑顔。美が人々に元気を与えた瞬間でした。そこから亡くなるまで、私財を投じ開催し続けました。本当に不思議なのは変身の過程から、素人モデルさんの表情が明るく変わっていくところです。色が与える力を感じる瞬間です。
俊二さんは他の人に幸せを与え、その姿を見る事でご自分も幸せになっていったのでは。日本への恩返しだと常々言っていたそうです。若い内に日本を離れ何も恩返しできていないから、自分ができる事で恩返しをしたいと。
そうして日本、シンガポールで回を重ねたメイクオーバーマジック。ショーのアメリカ進出目前に再度病に倒れ、永眠される直前までショーに打ち込んでいた俊二さん。インドでのお話しもあったと言います。
闘病のため、日本へ戻る時に「後1年あれば、皆をびっくりさせるものができたのに」と秘書の中込さんの前で落涙されたとの秘話があります。本当にあと数年あれば…。世界へ広がっていたのではないでしょうか。
そしてもちろん、揺るぎない実力
多くの顧客が海外からもヘアカットに訪れました。親子2代で訪れる方もいらしたとか。
皆が口を揃えて言うことは「カット後、数ヶ月経ってもスタイリングし易い」。
例えば最初はちょっと切りすぎかなと思っても数日経つといい感じになっていくようです。髪型も俊二さんにお任せにした方がいい。
それは街頭取材の時にも聞きました。以前俊二さんに髪を赤くした方がいいと言われて、拒否したけれど、抵抗虚しく赤に染められたそうです。ところが会う人会う人に褒められ、それからずっと赤く染めているという方がいました(取材時も赤!)美的感覚が素晴らしい。
俊二さんの盟友であり、シュンジマツオを支える1人でもあるリュウイチさんも「閃きで色んな事をやっていました。初来店のロングの方をショートに切って、それがまた似合っているのを見てすごいなと思いました」
絵にしても数年前に突然何かが降りてきて…と書き始め、買い手がつくまでになったとか。子供のような感性を持ち続けた人だったようです。
ひととなりもそうで、誰に対しても平等に優しい人でした。いつも笑顔で。
自分の哲学を理解する人がいる
現在も続けているメイクオーバーマジック。チケット制にしたりスポンサーを募ったり、工夫を凝らしてやっています。それも俊二さんの哲学を理解するライさんがいるからです。これからも高齢者に幸せを与えていってほしいものです。
俊二さんは、生まれ変わってサロンに戻ってくると言っていたそうです。どうか俊二さんの魂を持った少年(少女?)が、シュンジマツオに現れるまで繋げていって欲しい。
稀代のセレブリティヘアスタイリスト松尾俊二さん。美を愛し美学を貫いた美髪の魔術師。2017年永眠。
松尾俊二プロフィール
1950年7月8日神戸に生まれる。アメリカで活躍する元祖セレブレティヘアスタイリスト須賀勇介さんに憧れて、ヘアスタイリストを目指す。
須賀さんのアシスタントに抜擢され、日本からアメリカへ渡る。長らく須賀さんの撮影をサポート、その後独立。有名雑誌ヴォーグやハーパースバザーなどでもヘアを手がけ、ダナ・カランやマドンナ、多くのスーパーモデルと共に仕事をする。同時期にNYでサロンZibaをオープンし成功を収める。その後、アジアに活躍の場を移し、Shunji Matsuo グループを創り、ヘアスタイリストとして地位を確立。2013年から取り組んだ、メイクオーバーマジックで高い評価を得た。アメリカ進出を目前の2017年10月9日、神戸で膵臓癌で逝去。享年67歳。
Shunji Matsuo Hair Studio
直営店3店舗
• Shunji Matsuo Hair Studio Ngee Ann City
• Shunji Matsuo Hair Atelier ION Orchard
• Shunji Matsuo Hair Salon Holland Village
フランチャイズ2店舗
• Shunji Matsuo Hair Salon Tampines
• Shunji Matsuo Hair Salon Siglap
海外サロン
• Shunji Matsuo Hair Studio(ミャンマーヤンゴン)
それを記念して、Shunji Matsuo Studioから嬉しいプレゼントをいただきました。
日本人スタイリストによるカット+ケミカル各種(カラー、パーマ、トリートメントのどれか)ご利用なら 10%OFF
*2020年9月末日まで
*ニーアンシティ店とシグラップ店に限る
*初めてのお客様限定
*予約時にSingalifeの記事を見たとお伝えください。
ニーアンシティ店 Chie Ryuichi Ayako Rino Jun
通常料金
カット:$78-$85(女性)$68-$75(男性)
カラー:$115-
パーム:$208-
トリートメント:$100-
*上記カット料金はスタイリストによって異なります。また、髪の長さ、施術内容によって異なります。詳しくは各店舗にお問合せください。
シグラップ店 Nao
通常料金
カット 女性 $75 男性$65
カラー $110~
パーマ $185~
トリートメント $110~
ご予約・お問合せ
6238 1522/6238 1514(ニーアンシティ店)
6604 6366/6604 6466(シグラップ店)
9021 2540(日本語ホットライン、SMS・WhatsApp可)
Shunji Matsuo Studio
この記事を書いた人
SingaLife編集部
シンガポール在住の日本人をはじめ、シンガポールに興味がある日本在住の方々に向けて、シンガポールのニュースやビジネス情報をはじめとする現地の最新情報をお届けします!