【第89回】[東南アジア×国際テロ] 911米国同時多発テロ事件から21年。 シンガポールでの脱獄事件と静かな「テロとの戦い」

2016年にはマリーナベイサンズに対するテロ計画が露見したこともある(写真:Kelvin Zyteng/unsplash)

元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸

21年前の9月11日。米国で同時多発テロ事件が発生し、世界中の人々がアメリカに釘付けになった。当時、自分がどこで何をしていたかをはっきり覚えている人も多いだろう。

航空機がワールドトレードセンターに衝突する様子を、当時、外交官見習いだった筆者は、マレーシアのトレンガヌ州で滞在していたホテルのテレビで観ていた。特定の日付と時間に、何をしていたかをすぐ思い出せる日は少ない。それだけ衝撃的な日だった。911の21周年を迎えてバイデン米国大統領は「テロとの戦いを続けていく」と宣言した。

911事件を受けて、「テロとの戦い(War on Terror)」は世界的なキーワードとなった。東南アジアも「テロとの戦い」のなかに組み込まれていった。911の実行グループであったアル・カイダは、シンガポールも含む東南アジアで活動していたジャマ・イスラミヤ(JI)との関係を構築していた。アフガニスタンでの戦闘訓練などを通じて広がったネットワークだ。

特に、インドネシアでは2002年のバリ島での自爆テロ事件を皮切りに、マリオットホテル、リッツカールトンホテル、豪州大使館前、そして2度目のバリ島テロといった、いわゆる欧米権益を狙った自爆テロ事件が発生し、死傷者が生じた。犠牲者のなかには、バリ島を訪れていた新婚旅行の日本人夫婦も含まれていた。

シンガポールは脱獄事件という、歴史に残る苦い経験をした。シンガポール国籍の著名JIメンバーには、シンガポール支部長だったマス・スラマット・カスタリがいる。

カスタリは、2008年2月にWhitley Road沿い、MRTニュートン駅から3キロほど北にある国内治安法犯ディテンションセンターから脱獄した。シンガポールの治安の良さからは想像できない事態だ。指名手配ポスターがショッピングモールなどにも貼られ、大量の警察官やグルカ兵などの治安部隊が投入されたが捕まらず、近隣国当局とインターポールも追跡した。

結局、カスタリは2009年4月にマレーシアで拘束され、シンガポールに送還された。未だ、彼に対する裁判は行われていない。

今やJIは弱体化し、他のグループも目立った活動はしていない。しかし、テロの抑止のために静かな「テロとの戦い」は続いている。世界有数の治安の良さを誇るシンガポールも例外ではなく、静かな戦いは続いている。


*2022年9月12日脱稿

プロフィール

川端 隆史 かわばたたかし

クロールアソシエイツ・シンガポール シニアバイスプレジデント

外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。主な研究テーマは東南アジアや新興国を軸としたマクロ政治経済、財閥ビジネスのグローバル化、医療・ヘルスケア・ビューティー産業、スタートアップエコシステム、ソーシャルメディア事情、危機管理など。

1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。

2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年12月より現職。

共著書に「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア-政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア-イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。

東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所共同研究員、同志社大学委嘱研究員を兼務。栃木県足利市出身。




この記事を書いた人

SingaLife編集部

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