【南洋の華人社会×孫文】革命の父、孫文の足跡をシンガポールの晩晴園に訪ねる

元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸

辛亥革命の指導者であり、初代中華民国大総統となった孫文。日本でもよく知られた人物だ。その大きな足跡がシンガポールに残されているのをご存じだろうか。

MRTトア・パヨ駅の南、バレスティアロードの北側のあたりにたたずむコロニアル様式の晩晴園という邸宅がある。現在は、孫中山南洋記念館(Sun Yat Sen Nanyang Memorial Hall)として知られている。孫中山の「中山」は孫文の号であり、中国語圏や欧米圏では孫中山の方が一般的な呼び方だ。

晩晴園は南洋の革命拠点として活用された。現在のシンガポールとマレーシアを中心として財を成した華僑たちが、祖国の将来を憂い、清朝による支配から脱して新たな国を作る革命家たちを支援した。革命活動は中国同盟会という東京で結成された組織が担った。

晩晴園には孫文がシンガポールに渡航した際に実際に生活をした空間が再現されているほか、革命活動の歴史や各地の中心人物の写真などが展示されている。

日本人の宮崎滔天(とうてん)は、孫文と親交があったと記される。中国、台湾、日本、そして東南アジアをつなぐ重要な役割を果たした拠点がこの晩晴園なのである。

晩晴園は建築自体も美しい。何人かの所有者を経たにもかかわらず、コロニアル様式の一軒家は見事に保存されており、大きなバルコニーに立つと100年前にタイムスリップしたかのように感じられる。

常設展のほか、特別企画展も行われており、シンガポールや東南アジアの歴史を新たな角度から知ることができる。筆者が訪れたときは、1880年代から1970年代のシンガポールの華僑・華人女性のファッションをテーマしたModern Women of The Republic: Fashion and Change in China and Singaporeという展示が行われていた(12月12日まで)。

当時の服が展示されているほか、上海のファッションの流行を受け、どのようにシンガポールに浸透していった経緯や、当時のファッションショーの様子を収めた貴重な動画も見ることができた。

晩晴園は孫文の時代に思いをはせながら、南洋の豊かな華人社会文化に触れる絶好の場所の一つだろう。

晩晴園・孫中山南洋記念館の外観(筆者撮影)


現在開催中の特別展の様子。1970年代のシンガポール航空の女性客室乗務員の私服ファッション(筆者撮影)

*2021年10月5日脱稿

プロフィール

川端 隆史 かわばたたかし

クロールアソシエイツ・シンガポール シニアバイスプレジデント

外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。主な研究テーマは東南アジアや新興国を軸としたマクロ政治経済、財閥ビジネスのグローバル化、医療・ヘルスケア・ビューティー産業、スタートアップエコシステム、ソーシャルメディア事情、危機管理など。

1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年12月より現職。共著書に「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア-政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア-イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所共同研究員、同志社大学委嘱研究員を兼務。栃木県足利市出身。



この記事を書いた人

SingaLife編集部

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